ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2017年1月号 NO.212

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2017年1月号 NO.212

5神奈川県生まれ。幼稚園・保育園での勤務を経た後、2007年に北杜市で「森のようちえんピッコロ」をスタート。以来、森のようちえんの活動を実践し続けている幼児教育の専門家。自然の中で〝子どもたちが自分で考え、自分で決める?保育スタイルが注目を集める。現在、園児募集中!がらさーちゃんが言ったのだ。「まる君と~、拾いたい~」。よっしゃ! がんばった。自分のスイッチは自分で押さないとね。さーちゃんはまる君と米を拾った。 私はピッコロハウスに入り、年長児と話し始めた。「どうして米を拾ってあげなかったの」と聞いたら、年長児は口を揃えてこう言った。「さーちゃんはできるのに(米を一人で拾えるのに)泣いてたから」。「だってパイン組(年長組)の準備でしょ」。「私たちいなくなるよ」。年長児はやさしく声はかけたが、米はわざと拾わなかったのだ。あと数ヵ月で自分たちは卒園する。その後のことも考えている。しかも年長児同士は相談もしていない。子どもが子どもの成長段階をわかっていて、全員がさーちゃんはもう一人で拾えると確信していたのだ。これはすごいことだと思う。すると年長男児すばる君がさらにこう言った。「それじゃ手伝いっていう気持ちがしない」と。びっくりした。手伝いというのはその子が喜ぶこと、もしくはその子のためになることを指すのであって、米を拾うということはその子のためにならない。だから手伝いではないということだ。私は腰が抜けてしまった。そこに居合わせた大人は吸った息が吐けなかった。 本当に友を思うということはどういうことなのだろう。米を拾ってあげることは簡単なことだが、それがその子にとって本当にいいことなのだろうか。拾わないことは一見冷たく見えるが、さーちゃんの成長を願う年長児にとってそれは愛情なのだ。私だって一緒に拾えば、一見やさしい大人に見える。しかしそれは上辺のやさしさであって、真に友を思うこととは違う。すばる君はそこを言ったのだ。本当に参った。大人の皆様、「手伝う」って何ですか。本当のやさしさ、その人を思うってどういうことですか。大人は子どものどこに寄り添えばいいのですか。「拾わないと自分が意地悪な人に見えるから拾う」。「拾ってあげたいから拾う」。「その子のためにならないから拾わない」。自分はどこにいるのだろう。そしてもし上辺のやさしさで「拾ってあげなさい」と子どもに言ったらどうなったのだろう。子どもは深く、いつも楽々と大人を超えていくのだ。