ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2016年10月号 NO.209
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ちびっこぷれす Chibikko press 2016年10月号 NO.209
5神奈川県生まれ。幼稚園・保育園での勤務を経た後、2007年に北杜市で「森のようちえんピッコロ」をスタート。以来、森のようちえんの活動を実践し続けている幼児教育の専門家。自然の中で〝子どもたちが自分で考え、自分で決める?保育スタイルが注目を集める。現在、園児募集中。は「観てほしかった」「謝ってほしい」の一点張り。観客側も見た方がよかったのかも…という雰囲気になった。そこで年長女児らーちゃんが言った。「観なくてごめんね」。続いて年中男児はったんも目をシバシバさせてこう言った。「ちょっと観なくてごめんね」。年中女児みれいちゃん「ずっと観れなくてごめんね」。それぞれ考えて自分の言葉で謝った。しかしその謝り方はどうも腑に落ちてないように私には見えた。その気持ちはよくわかる。いつもこのような時、子どもに任せる形になるのだが、子どもの言いなりにはならず大人がこの場をどう見るかということも大事だと思う。私はみんなのために何かしてあげたいと思う映画スタッフはすごいと思ったが、「やってやったのに観なかったから謝れ」というところだけは傲慢に見えた。ただ今日はこの場はすでに終わっている。子どもたちに何を言っても入らないような気がした。もしこの件が大事なことだったら、森の神様がいつか必ず続きをやらせてくれるはずだ。 そして9月2日に本当に続きが来た。それはいつも不意打ちにやって来る。川の帰りに再び年長男子が言った。「今日も映画をやる」と。私は「あ、そうなのね」と言った。すると7月のことを思い出した年長女児みらいちゃんがこう言った。「私は話しながら真剣に食べたい」と。年長女児ゆいちゃんも「私も」と言った。今日は映画を観ないで友だちと話しながら食べたいということだ。中島「この間は無理に観たことが嫌だったのかな」。「うん」。すると映画を観たい人は映画の近くで、そうでない人は映画から遠くに座って食べよう、という話になってきた。そして突然映画スタッフが言ったのだ。「無理でごめんね」。素直に謝罪した。7月にはわからなかったこと、それを今は理解している。7月は自分たちのやりたい気持ちが大きかった。それでよかったと思う。しかし今は相手の気持ちもわかる。こうやって群れの中でみんなが気持ちを出すことにより、何度も何度も心が揺れて、そして心は大きくなっていくのだ。大人が無理に作ることもできない、機を待ちそれを逃さない。嘘のように神がかり的なことがなぜかピッコロでは起きるのだ。こうして他人の気持ちがわかる子どもたちが育っていく。