ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2016年9月号 NO.208

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2016年9月号 NO.208

5神奈川県生まれ。幼稚園・保育園での勤務を経た後、2007年に北杜市で「森のようちえんピッコロ」をスタート。以来、森のようちえんの活動を実践し続けている幼児教育の専門家。自然の中で〝子どもたちが自分で考え、自分で決める?保育スタイルが注目を集める。現在、園児募集中。危 険と言われている左の道は、前 回は小石のある下り坂だったが、私にとってはそれ程 危 険ではなかった。それにもし今年そんなに危険だったら、すでに下った人が戻ってくるはずだとも思った。しかも右の道の入 口の方がわかりづらくて心 配だった。私が左の道でも大 丈 夫かなと思っていたら、そこに家族で居 合わせた中の1 0 歳くらいの女の子がキッパリとこう言った。「私はこの道(危険な方)で大 丈 夫だと思う」と。私は彼 女のあまりにものキッパリさに驚き、聞き返してしまった。「な、なんで?」。すると彼女はこう言った。「私は以 前この道を歩いたことがあるし、ここにカミーノの印(道標)があるでしょ」と。そう、この道にはしっかり全 長 8 0 0 k mをずっと示し続けてくれる道標がついていた。私はそこでハッとしたのだ。そうだった、ここは巡礼の道だった。自分と神様とで歩く道。巡礼事務所の人の話はもちろん大切だ。けれど彼女はそれとは違うところを見ているのだろうと思い、息が止まった。どこの国でも子どもはすごいと本当に思った。結局私は、危険と言われていた左の道を歩くことにした。右の方が私にとっては不安に思えた。滑らないように少し注 意して歩いたら快適な道だった。この話はもちろん人の話を聞かなくてもいいとか、危険な道でも大丈夫ですということではない。ピッコロの子どもたちには嘘みたいだけれど「 頭で考える」と「心で考える」の違いがわかっている子が 何 人もいる( 私にはわからない)。事務 所の人の話をもとに考えるのが頭で考えるということだとしたら、道標に従って自分と神様の関係で考えていくことがもしかしたら心で考えるということなのかもしれない。だから大人(私)は頭だけでしか考えてない。分岐で慌てるのはそのためだと思った。いったい私は「 心で考える」をどこに置いてきてしまったのだろう。日本にいると2 4 時 間( 夢でまでも!)ピッコロっ子のことを考えているので、それも子どもにとってよくないかと思い海外に出てみるのだが 、歩いている間 中気づくと子どものことを考えている。これも幸せなことだと思った。