ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2016年7月号 NO.206
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ちびっこぷれす Chibikko press 2016年7月号 NO.206
4 なぜ待つ保育を始めたのだろう。大人の指示で行動できる能力は大事だと思う。また大人の見本に従って模倣できる力も大事だと思う。ただその力だけでは生きていけないような気がしたからだ。子ども自身が考えたり失敗したり、試行錯誤で得る力も必要だ。例えば社会人になった途端に「企画書を書け」と言われるのだ。だからピッコロの保育が始まった。そのキーワードの一つに「自分で気づく」があると思う。 先日、森の学校(小学生プログラム)でカレーシチューを作っていた。全員が野菜を切り終わる頃、空のジップロックが置いてあった。誰かが野菜を入れてきて片づけ忘れているのだろう。私はそれを掲げて大きな声で「これ誰の~!!」とコラム/中島久美子 写真/砺波周平 デザイン/若岡伸也大人が教えられないこと言った。誰からも返答はなかった。だがふと視線を上げてみると、遠くで5年生の女の子がすぐ横にいる4年生の女の子のことを指差している。しかも微笑みながら声を出さずに「この子のだと思う」と、口だけで静かに言っていた。私はそれを見た時に「あっ、その子の?」と、声を出さずに口真似していた。すると私と5年生のやりとりに気づいた4年生の女の子が、「モ~」と言って、恥ずかしそうに笑いながら5年生のことをたたいていた。私は5年生につられて小声になった時にハッとしたのだ。そうだ、小学生にもなれば例え置き忘れただけでも恥ずかしいと思うのだ。そのくらいのことはわかってもよさそうだ。何ともデリカシーのないオバサンだなぁ。大きな声で「これ誰の~!!」はないよね。申し訳ない。 で、ここで何に驚いたのかというと、私は5年生に「先生、大きな声で言わないでください」と言われたわけではない。彼女の静かな所作によって「私が自分で気づいた」というところだった。言葉で言われても情けないが、「気づかされる」のはもっとグサッとくる。しかもそれは私や4年生に対しての思いやりからの言動だった。「愛情で気づかされる」のはさらにキツイ。私はもう二度とやらないと思った。教えずに「自ら気づく」ということはそういうことだと思う。 昨年、園庭でむこうから年長児の周くんが歩いてきた。歩くというか、満タンの水筒を地面スレスレでグルグル回し、それと同時に自分も回っているのだ。回り第 回40