ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2016年7月号 NO.206
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ちびっこぷれす Chibikko press 2016年7月号 NO.206
30小児科Dr. 宮本の連載コラム午後10 時、クリニックにて… ?おほしさまの先生からの子育て応援“談”!?宮本直彦(みやもと・なおひこ)小児科医。山梨市加納岩総合病院勤務などを経て2004 年、昭和町で夜間の小児救急にも対応する医院・げんきキッズクリニックを開業(現在夜間診療は終了)。2009 年春、移転してリニューアル。クリニックと同じ敷地内に「げんき夢保育園」を開園。Vol.135 「ハンセン病」を知る 先月、北海道で行方不明になっていた大和君が6 日ぶりに発見されました。発見されるまで心配でしたが、無事で安心しました。今回、みなさんもしつけについて考えるきっかけになったのではないでしょうか。 まもなく4歳になるうちの娘は自分から三つ編みを母にせがむようになり、鏡を見ながら「かわいい?」と私たちに聞くようになりました。女の子としての成長を感じています。反面1 日1 回大泣きする場面があります。寝る前の仕上げ磨き時、私が体を抑え、妻が歯磨きをし、2人がかかりです。5人目の子育ての余裕からこれも子育てのよい思い出になると思いながら格闘していますが、初めての子育てを一人で奮闘している親御さんにとっては、憂鬱な時間となっているでしょう。皆同じことで悩んでいます。決して一人ではありません。 今春、ハンセン病患者が当事者となった裁判を裁判所外に隔離して設置された「特別法廷」で審理した問題について、最高裁判所が違法だったと認めたという報道がありました。今月は「ハンセン病」についてお話します。ハンセン病とは ハンセン病は「らい」菌に感染することで起こる病気で、遺伝病ではありません。紀元前4000 年前にはハンセン病について書かれており、大昔から存在していた病気です。古来は「らい病」と言われていましたが、差別的に感じる人も多いため、らい菌を発見したノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師に由来し、ハンセン病と言われています。治療薬がない時代は顔や手足に変形を残すことがあり、治っても重い後遺症を残していました。治療薬がある現在は、早期発見と早期治療により後遺症を残さずに治るようになりました。また、十分な栄養をとることができ、衛生的な社会である日本では発病することはほとんどなくなりました。国内における新規患者数は年間0~数人で、その多くは高齢者です。 日本のハンセン病対策は、1897 年(明治30 年)の第1 回国際らい会議でハンセン病の予防には隔離が必要であると言われたことから患者の隔離が始まりました。1907 年(明治40 年)、らい予防法の前身となった法律である「らい予防に関する件」が制定され、さらに1931 年(昭和6年)に「らい予防法」に改正され、患者をハンセン病療養所に強制的に入所させました。患者の出た家を真っ白になるほど消毒したり、ハンセン病は国の恥で恐ろしい病気という意識を国民に植えつけました。一方で国際的には治療薬も開発され、治る病気ということがわかり、1940 年代に入ると隔離の必要性が低いと認識されるようになりました。しかし日本では、国や医学会はその事実を知りながらも、1996 年(平成8年)まで隔離政策を続けたのでした。このため、社会には根強いハンセン病への差別・偏見が残りました。差別・偏見によって 患者が強制的に入所させられた療養所には、患者が外に出ないように高さ2m あまりの壁が張り巡らされていました。一生出て暮らすことができず、もちろん親兄弟と暮らせず、結婚しても子どもを産むことが許されず、死んでも故郷の墓に埋葬してもらえませんでした。1951 年(昭和26 年)、山梨県で長男がハンセン病と診断されたのを苦にして一家9人が青酸カリで心中するという痛ましい事件が起こりました。 犯罪に関わった場合、非公開での特別法廷で裁かれており、判決は公平性を欠いていた可能性があります。1952 年(昭和27 年)熊本で起きた殺人事件でハンセン病の被告が無実を訴えたものの死刑判決が確定し、10 年後に刑が執行されました。被告は公開の法廷に立つことは一度もなかったそうです。 私は今春、沖縄県にある療養所を見学させていただきました。その療養所は町から遠く離れた場所にあり、未だ帰る場所がない高齢の方が住んでいました。療養所に併設された資料館にて語り部の方から様々な話を聞くことができました。山梨県の近くにも国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)があります。ぜひ見学に行かれることをお勧めします。映画「あん」を鑑賞 昨年、妻とこの映画を鑑賞してきました。どら焼き屋の雇われ店長と元ハンセン病患者の老女との交流と別離を描く作品で、ハンセン病患者が世間の偏見や不当な差別を受けながら生きる姿が映し出され、人間の生きる意味について考えさせられました。 繰り返しになりますが、ハンセン病は遺伝病ではなく、現在の日本においては新規の患者はほとんどおらず、通常の生活で感染することがほとんどありません。私たちにできることは、ハンセン病について正しい知識と理解を持つことで、差別や偏見をなくすことが大切です。そして医療従事者は、正しい医療知識を皆さんに提供する役割を決して忘れてはならないということを痛感するのです。