ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2016年6月号 NO.205
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ちびっこぷれす Chibikko press 2016年6月号 NO.205
5神奈川県生まれ。幼稚園・保育園での勤務を経た後、2007年に北杜市で「森のようちえんピッコロ」をスタート。以来、森のようちえんの活動を実践し続けている幼児教育の専門家。自然の中で〝子どもたちが自分で考え、自分で決める?保育スタイルが注目を集める。現在は約30名の子どもたちとともに、驚きと笑いに満ちた日々を送る。15秒。その場にいた大人も全員びっくりしていた。で、私はこの信じられないという気持ちが嬉しさに変わり、子どもたちを猛烈にほめ始めたのだ。「すごいね、みんな!今日は花丸~!大っきい花丸!! 自分で自分の頭をなでなでしちゃおっか!!」。すると子どもたちは静かに自分の頭をなで始めた。が、そこで私は違和感を感じたのだ。あれ、この子たちあまり喜んでない。大人が「あなたたち花丸~!」と言ったら、普通「イェーイ!」でしょと思ったのに、子どもたちに「イェーイ」はなかった。たぶん子どもの立場ではこうだろう。「笛の音で集まるはずなので集まったし、私語はナシだからしない。押さないことになっているから押さなかった、それがなぜ?」「当たり前なのに」「ま、中島が嬉しそうにしてるからなでとくか」と、こんなところだろう。がーん。自分本意の保育をしてしまった。子どもたちは嫌な気持ちはしなかったと思う。だが育ちにはなってなかった。嬉しいやら落ち込んだやら…。 しかし彼らはほめられたくないわけではない。先日、小さい岩の上に立った子がいた。その時私は「この子はそこから飛びたいのだな」と思った。彼が黙って下を見ていた時「あ、迷っているな」と思い、「今日は飛べないかな」とも思った。「飛べると思うよ」と助けてあげたくなったが、いやいやこれは彼が決めることだったと我慢した、と思ったら飛んだのだ。その時軽くほめたら顔がキラキラした。避難訓練の顔とは全く違う。自分で決めて越えた時、彼らの根っこがグンと伸びるような気がする。その時の顔なのだ。 これは育児本の「ほめましょう」でもなく、「ほめない方がよい」でもない。「よく見てほめた(認めた)」ということだ。よく見るということは子どもを理解するということで、それはその子にとってできることなのか、できないことなのかを大人がわかるということでもあり、その内面を知っていくことが愛情なのかもしれないとも思う。保育(子育て)にマニュアルはない。目の前の一人ひとりの子どもたちをよく見て臨機応変に対応を変え、失敗して学んでいくことだ。失敗の数と成功の数は同じらしいから。