ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2015年1月号 NO.188

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2015年1月号 NO.188

5いる。あれ、昼食中なのに食べずに何をしているのだろうと気になった。まさか自由弁 当の日なので遊んでいるのではないよねと思ったが 、ここは少し待つ。様子を見るということだ。流すのとは違う、流せば放任だ。私は食べながら、ずっとその子たちを見ていた。子どもたちは私の視線にまるで気づかなかった。しばらく見ていると、何をしているかがわかってきた。どうやら彼らは、みんなで何かを拾っているようなのだ。そのうちその輪に年中 児 、年 長 児も入り始めた。年 長 児が入ったということは、もうこれは遊んでいるのではない。昼食中に遊ぶ年長児はもういない。まして遊んでいる年 少 児を注意しない年長児はいるわけなかった。  私はここで初めて声をかけたのだ。「どうしたの?」。すると年長児が言った。「ふりかけがこぼれちゃったの」。(あ~!そうだったのか!)白飯の日なのでスタッフがふりかけを出してくれた。そのふりかけが畳にこぼれ、それを拾っていたのだ。どおりでみんな静かに下を向いていると思った。「 食 事 中 に 遊んではいけません」と浅はかに言わなくてよかった。年少児だけの時には一 粒ずつ拾ったが、年長児が雑巾で拭いて終わりにしたそうだ。さすが年長児。そして何 事もなかったように子どもたちは昼食を食べ始めた。ここまで 全く大 人を介さない 。「こぼれちゃった」という報 告もなければ、もちろん「拾いましょう」という指 示もない。1 2月になれば、自分の頭で考える子どもたちはこのくらいは普通にできるのだ。ただ年少児が大人を呼ばずに拾っていたことに私はびっくりした。年少児はまだまだ「こぼれちゃった~」と、困り顔で報告に来てもいいはずだ。その日、視察に見えていた方々がそのわけを私に聞いた。私は「自分でできると思っていると思います」と答えた。しかし本当のところはわからなかった。なので年 少 児 A 君を呼んで聞いてみた。「どうして大人に言わないで自分たちで拾えたの?」。彼は嬉しそうにこう答えた。「だって自分で拾えるも~ん」。やはり予想通りだった。これは日々の生活で何回も自分の力で乗り越えた経験がないと、出ない言葉だと思う。念のため、もう1人の年 少 児 Aちゃんにも聞いてみた。「どうして大 人に言わないの?」。すると「みんなでできるから!」と、彼女も明るく答えたのだ。大人に言わなくても子どもだけで大丈夫ということだ。年少児がそのわけを自分の言葉で話せることもすごいと思ったが 、彼らの自律度に私はとてもびっくりしてしまった。  何かに頼るより、自分でできることが多い方が人は強くなると私は思う。小さな“できた”を積み重ねると、卒園時には「世界を守る」と言う子が出てくるのだ。大 人にやらされた“できた”には意 味がない。自分のスイッチは自分で押さないと。大人は子どものスイッチを押さないように気をつけないと。子どもは自分のスイッチを自分で押したがっているのだから。それが育つということだと私は思う。カメムシ冬になると、暖を求めて家の中に入ってくるカメムシ。悪臭を放ったり 、農 作 物の害 虫になる 悪いイメージがありますが、実際はフルーツの香りをさせるカメムシがいたり、害 虫を食べてくれるカメムシも存在します。日本には1300種類ものカメムシが存在していて、背中の模様のバリエーションはとても豊富で芸術のような存在です。人の顔をしているカメムシや 、? 型を背 負ったカメムシも存 在します 。家の中に入ってきたカメムシの背中を観察するのも面白いですよ。