ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2014年10月号 NO.185

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2014年10月号 NO.185

46甲府市丸の内生まれ。(株)Ysk e-com代表取締役社長兼CEO。創立まもないテレビ山梨に入社後、1986年に前身である山梨ソフトウェアを立ち上げ社長に就任。「山梨県の山梨県のソフトウェア開発のトップ企業であるYsk e-com。率いる飯室社長は、株式会社Ys教育委員などさまざまな役員を歴任する、県の根っからの山梨好き。「社員が生き生き働けるのは、心地よい家庭があってこそ」という社長が、ママたちに力強いエールを送ってくれました。Monthly Interview雇用と情報化に貢献する」というのが設立の想い。山梨県の教育委員や山梨県ニュービジネス協議会会長なども歴任。プライベートでは35歳と40歳の娘の父でもあり、孫は3人。飯室 元邦さんいいむろ もとくに宮沢(本誌発行人) 飯室社長、お会いするのは県のニュービジネス協議会以来でしょうか? お久しぶりですね。お生まれはどちらなんですか?飯室 甲府の真ん中、丸の内2丁目です。父は段ボールの事業をやっていて親分肌。明野出身の母も人が来るのが好きで、常に家に人がいたねえ。もらい物も多くて、近所に配りに行ったりしてね。僕は2人きょうだいの長男なんだけど、母は必ず「まんじゅうが一つあったら必ず全員で分けなさい。みんなで食べなさい」と言うのね。この「平等に分ける」「みんなで食べる」という感覚は焼きついてます。宮沢 どんなお子さんでしたか?飯室 小中学校はスポーツ少年で、野球・陸上・剣道をやってましたね。高校に行く時に親父が、「一高(甲府第一高校)に行っても真ん中ぐらいの成績じゃ、いい大学に入れないだろう。甲府商業へ行け」と。これには先生がびっくりしていたけど、簿記が好きになって、大学は日大の商学部に行きました。宮沢 就職はテレビ山梨に入られて。飯室 地元に帰ろうと自然に思ってましたね。母が「東京で働いて遠い所のお嫁さんをもらったら帰省のたびに大変だよ」って刷り込むものだから(笑)。テレビ山梨が開局したばかりで、「なんだか面白そう」と一期生で入社したんです。最初は報道にいたんだけど、記者クラブで麻雀やってたり牧歌的な時代でしたね。その後は総務部に配属されたんだけど、会社がまだ苦しくて資金がギリギリで怖くて眠れないなんてこともあったなあ。コンピュータがない時代だから、夜中の1時までやっても数字が合わなかったり。心があると、いい人が集まる宮沢 その後、テレビ山梨からYsk e-comの前身である山梨ソフトウェアを立ち上げられて。飯室 当時の中山社長が会社を作れと言ってくれてね。でもよくぶつかっていましたね。あちらは瞬間湯沸かし器だし、僕も若くてバンバン言うし、もうしょっちゅうケンカ。社長の会に入れって言われたけど、「僕は自分で新しい人脈を作るから入りません!」なんて生意気言ったりして。でも心憎いのよ。お客さんの前では僕のことを褒めてくれるの(笑)。宮沢 その後、みるみる業績を伸ばされて、今や山梨を代表する企業ですね。成長の秘訣はなんですか?飯室 謙虚さを失えばすぐ転落だと思ってますよ。僕の仕事は、社員のモチベーションを上げることに尽きます。8時すぎに会社に来て、ジャッジすべきことは素早く終えて、9時半?17時半のみんなの仕事タイムの邪魔をしないようにしているの(笑)。うちは監査法人が驚くぐらい福利厚生が厚く