ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2014年9月号 NO.184

ページ
50/56

このページは ちびっこぷれす Chibikko press 2014年9月号 NO.184 の電子ブックに掲載されている50ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2014年9月号 NO.184

501974年、長野県野辺山生まれ。実家は専業農家で、高校から下宿生活を始める。部活のマネジャー経験をきっかけに看護師を志し、後に助産師に。2005年に北杜市白州へ移助産師として韮崎市の新生児訪問や北杜市のを行なう傍ら、月に一度白州の自宅を保健相談し、「月マルシェ」を開催している井上裕子さん開放。多彩な活動の根底にあるのは、すべて「お母さんを応援したい」という気持ち。15歳で家を出た青春時代から現在に至るまでのお話をうかがいました。Monthly Interview住。助産師としての活動の他、「月マルシェ」を通して東北の支援活動やボランティアを行なう。家庭では小3から中2までの3人の男の子のママでもある。井上 裕子さんいのうえ ゆうこ宮沢(本誌発行人) ご出身はどちらなんですか?井上 山梨のすぐ隣、長野の野辺山です。田舎の小さな村で小中学校はずっと顔ぶれが同じという所でした。実家は高原野菜の大農家で、夏なんてアルバイトの知らない人と一緒に寝食を共にしているような感じで。宮沢 そういう環境は苦にならないタイプでした? どんな子ども時代だったんでしょう?井上 誰にでも垣根を感じない性格は環境のおかげかもしれませんね。子ども時代で記憶に残ってるのは、「夏休みなんていらない」って作文を書いたこと(笑)。8つ下の妹が生まれた小2の夏、母は家業で忙しいから授乳だけして、あとは私がおぶって子守りしていたんです。布おむつにうんちを漏らされてSOSしに行ったり、妹がクレヨン食べて口が真っ青になったり。当時流行っていたドラマ「おしん」をもじって「おゆう」と呼ばれていましたね。でもその実家を15歳で出ることになるんです。当時の私の夢は、ルポライターになって世界中を巡ること。狭い環境を窮屈に感じて、あえて高校は学区外の私立に進学させてもらったんですが、ある日先生に突然、「バレーボール部のマネジャーをやらないか」と声をかけられて。宮沢 おゆうの面倒見のよさを見抜かれたのかしら?井上 いまだに理由はわからないです。バレーボール部は強豪チームで、選手だけでなくマネジャーもコーチの家に下宿するんです。親元を出てみたい気持ちもあったし、先生が実家まで来て説得してくれました。「嫁に出す気分だ」って父に泣かれた時はさすがに一瞬、後悔したけれど。宮沢 で、どうでした?部活は。井上 ものすごくハードでした。朝選手を起こしたりお弁当を作ったり、全員の生理日を把握するのはもちろん、体調に合わせて野草を煎じて飲ませたり。年に3日しか実家には帰らず、勉強も全くせず。大変だったけどやりがいがありました。私生活が不安定でチームを乱す状態の選手がいて、彼女を試合に出すべきでないとコーチに進言したこともありました。この時は、選手の親とも渡り合いましたね。宮沢 高校生が大人相手に?!井上 でも最終的にその選手も親もわかってくれたんです。自分がきちんと相手に向き合って、本気の思いが伝われば相手も変わると実感できた経験でした。コーチの奥さんから学んだことも多いです。いいことも悪いこともはっきり言うけど、伝え方が上手で。宮沢 部活というより就職したみたいですね。井上 ですよねえ(笑)。でも進路は困りましたよ。「人のお世話をするのは好きだな、看護師っていいな」とい