ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2014年8月号 NO.183

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2014年8月号 NO.183

521973年、東京都大田区生まれ。小学生からの夢を叶えるため、働きながら大学に通い、考古学を学ぶ。東京北区での修行期間を経て、27歳の時に櫛形町(現南アルプス市)の文“文化財課のお手伝い”など、ユニークな取り組みら注目を集めている南アルプス市の文で全国か課。その立役者の一人が保阪太一さんです化財。考古学の仕事に就きたい」という夢を叶え「るのは一筋縄ではいかなくて…逆境でも前向きな保阪さんの半生に、勇気をもらえます。Monthly Interview化財担当に着任。文化財の教育普及に力を入れたユニークな取組みが注目され、文化庁主催の講演会で講師を務めたことも。プライベートでは6歳の男の子のパパである。保阪 太一さんほさか たいち宮沢 ある意味鍛えられますね。保阪 確かにそうかもしれません。でも小中学生って、自分の持ち物が人と違うのが恥ずかしくてしょうがない時期じゃないですか。それで中学生から新聞配達を始めました。宮沢 親に反抗したくなりませんでしたか?保阪 もちろんグチってましたけど、仕方ないですよね。後に亡くなった母の日記を見たら、苦労だらけだったと思うのに「ともかく幸せに生きてこれてよかった」と書いてありました。母は終戦を樺太で迎え、11歳の時に幼い妹の手を引いて、背後に銃声を聞きながら命からがら逃げたという人。「生きているだけでありがたい」という人に、「俺もアディダスの靴がほしい!」とか言えないですよ(笑)。だから自分の人生、親をアテにするんじゃなくて、自分でやりたいことは自分でやらなきゃと思ったのかもしれません。宮沢(本誌発行人) こちらのふるさと文化伝承館、小さな子でも楽しめるしかけがいっぱいですね。土偶塗り絵があったり、土器パズルがあったり。保阪さんはいつから考古学に興味を持たれたんですか?保阪 いつだろう…小学校の卒業文集ではもう「考古学関係の仕事をしたい」と書いてましたね。幼い頃は恐竜、その後は先生の古墳の話に夢中で。宮沢 夢に向かってまっしぐらな感じの子だったんですか?保阪 それがそうでもなくて。スポーツ少年で剣道もやっていたし、映画とか舞台芸術に夢中になって、そういう仕事もいいなあと思ったり。うちは寿司屋を営んでいて、とても貧乏でした。オモチャも買ってもらえなくて、オヤジは「なんでも自分で作れ」と。当時流行ってたガンプラを木を掘って作りましたよ。大変すぎて挫折しましたけど(笑)。突然、一通の手紙が届いて保阪 その後一浪して大学に入ったものの色々ありまして、学費を稼ぐために働きながら夜学に通っていた時もありました。こだわっていた考古学からも離れ、消極的になってましたね。高校の仲間の中では落ちこぼれでしたから。でもなぜか途中で吹っ切れて、興味あるものはすべて全力でやろうってポジティブな気持ちになったんです。剣道のコーチやシナリオの勉強、仕事もね。そこで考古学の夢にもう一度チャレンジするんです。その時、背中を押したのが一通の手紙でした。宮沢 誰からの?保阪 なんの企画だったのか、15歳の自分が10年後の自分に宛てた手紙を偶然見つけて。当時の純粋な気持ちで、「きっと考古学の仕事をしていることでしょう」と書いてあって…泣けました。宮沢 アンジェラ・アキの歌みたい!