ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2014年8月号 NO.183

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2014年8月号 NO.183

5園 舎内を全力で探し続ける。しばらくするとどこかから「あったーーー!」の声が聞こえた。すると次の瞬間、一斉に全員が全速力で戻ってきた。そして何もなかったように朝の会が始まるのだ。見事だった。  先日他の園の保 育 者が視 察に来た時 、同じことがあった。その人は「え、行かせちゃうのですか」と言った。朝の会のためにせっかく集めた子どもたちが 散らばってしまう。遊び始めてしまう子もいるので、また集めるのが大 変だからだ。わかる、私も以前そうしていた。「僕も見てくる!」と張り切っている子 に「 今 ○ ○ちゃんが見に行っているから行かなくてもいいよ」と言うのだ。しかも優しく言うので、子どもにとっていいことをしているという錯覚にも陥る。しかしよく考えると、これは再び 集めるのが大 変という私の都 合から言っていたのだ。しかも子どもたちがクモの子を散らすように走ってしまうと、すぐには元に戻らないという思い込みもあった( 子どもを信じていない)。更に言えば、この言 葉が 平 気で子どもたちの意 欲をつぶしていたということに全くもって鈍感だったということだ。子どもたちは、水筒がない子を放っておけないから見てくると言っているのだ。遊びたいから言う子は一人もいない。大人は誰でも思いやりのある子に育ってほしいと願っているが、それはこういう時、一緒に困って一緒に探す子なのではないだろうか。行かなくていいという大 人の言葉は、困った子のことを人ごとに考えていいということだ。知らん顔してもいいということでもある。更に数名が心を寄せてあとの子は人任せでいいとも言っていて、最後には子どもの意欲をつぶすことになる。そんなことを私はしていたのだ(謝)。今はそんな子どもたちを育てるくらいなら、散らばった子どもたちはいくらでも集めたいと思っている。散らばらないけれど…。 ただ時々、年少児はわからずにみんなが 走ったから走り、途 中で遊んでしまう子もいる。そうしたらその時に「あれ、水筒探しに行ったのに遊んでるの」と注意すればいいだけだ。そのうちそれもなくなっていく。またもし泣いている子を大人が預かれば、それは大人が何とかするものと思うかもしれない。大人が預かるべき時もある。ただ水筒ごときでは預からない。それが子どもの育ちになるからだ。ケンカをしている子どもたちをサブの先生が預かり、主な活動をメインの先生が進める。これもケンカは人ごとに思っていいということになると思う。大人がなんとなくしている行 為や言 葉が、子どもたちの何かを作っていく。そう思うと恐ろしくてこの仕事は辞めたくなるが、それ程注意して子どもに臨むに越したことはないと思う。大人はもっとその言葉や態度の意味を深く考えた方がいいとも思う。 私はイエに5名しか残らない状態を見ていつも嬉しい。誰かの水筒を全力で探す、自分ごとで考える子どもたちがここにこんなにいる。そのことに心が震えるのだ。大人も子どもたちの半分でいいから自分ごとに考えることができれば、世の中もっと変わると思うのだが。オオムラサキ夏になると山あいで見かけるオオムラサキ。体 長5センチほどになる大型の蝶です。名 前の由 来になった紫 色をしているのはオス。メスは一回り小さく茶色をしています。保 護を要 する絶 滅 危 惧 種と 言 われていますが、山 梨県では地元の方たちの協力によって、その数は減っていません。エノキという種 類の木が必 要ですが、森の管 理をする時にエノキを 残 すような管 理をしている業 者さんがいてくれるおかげです。