ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2014年7月号 NO.182

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2014年7月号 NO.182

401959年、大阪府堺市生まれ。中学生で保育士を志す。保育園・児童館・幼稚園・児童養護施設などで幅広い経験を積む。再婚して上京後、保育施設「育児サポートカスタネット」、宿泊型のフリースクールで、自然食の親子合宿も設を忍野村に立ち上げた長野眞弓さん。できる施もとお母さんにとことん寄り添った場を作り「子どたい」という思いから、精力的に保育園や学校を立ち上げてきました。その情熱は一体どこから来るのか? 壮絶な半生を語っていただきました。Monthly Interview認証保育所「森の保育園」を開園。鹿児島での全寮制の小学校設立を経て、忍野村に「美徳社」を開設。栄養治療を含む幅広い観点での育児と教育を伝道中。長野 眞弓さんながの まゆみ宮沢 新しい暮らしには馴染めたんですか?長野 完全に気力を失っていたけど、小学校で運命の出会いがあったんです。私は母の不注意でやけどしてひどいケロイドがあるんですが、身体検査で毎回それを丸見えにさせられて・・・。クラスの子には「気持ち悪い」と言われ、先生は誰もフォローしてくれない。でもある時、新任の先生が「何やってるの!」と白いジャケットで私をくるんでずっと付き添ってくれて。「いらんことするな」と言う他の先生に「このままでいいわけないじゃないですか!」と怒ってくれた。「どうせ大人なんか」と思っていた私が、権威に負けない本物の正義の人に出会った。思わずわっと泣きました。宮沢 それで先生になろうと思ったんですね。長野 そうです。さらに中学生の時に、近くの牧師さんから「自分がしてほ宮沢(本誌発行人) 長野さんが保育士を志したきっかけはなんだったんですか? 同じ保育者としてとても興味があります。長野 その話をすると、生まれる前まで遡りますね。私の母は16歳で私を身ごもり、周囲の猛反対の中「いやや!赤ちゃん殺さへん!」と逃げ回って産んでくれたんです。親戚の風当たりも強い中、父も月一回ほどしか帰らず、母はお酒を飲んでは自殺未遂を繰り返していました。私は友だちと遊ぶより母の心配ばかりしていましたね。幼児の頃から「早く自立して、私がお父さんの代わりにお母さんを幸せにするんだ」と誓っていたんです。宮沢 幼児で・・・。長野 アダルトチルドレンですよね。でもその生きる支えを9歳の時に失いました。母が突然蒸発したのです。それで父の新しい家庭に行き、実の母とはそのまま生き別れです。しいと思うことを、人にしてあげなさい」という聖書の言葉を聞いたんです。自分だったら生まれてくる時になんて言ってほしかったろうか。赤ちゃん時代にどんな声をかけてほしかったろうか。私には、赤ちゃんや妊婦さんのためにやってあげることが残っている!と生きる意欲がわいてきたんです。保育士になって、お母さんたちに「生んでくれてありがとう」「がんばってるね」って、愚痴でもなんでも聞いてあげたいと思ったんです。おばちゃん、僕たちを見捨てたの?宮沢 保育士になられてからはどうだったんですか?長野 それがまたなかなかうまくいかないもので。実習や臨時職員として行った施設で言葉の暴力や虐待を見てしまって、私も若かったからぶつかったりしてね。でもこの時あらゆる種類の施設を経験したことが、今に生きて