ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2014年6月号 NO.181

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2014年6月号 NO.181

421948年、山梨県長坂町生まれ(現北杜市)。北杜市オオムラサキセンター館長。大学卒業後、地元に戻って青年会の活動をする中で、国蝶オオムラサキの保護活動と出会蝶の生態が観察できる森や虫採り体験などの気で、全国から年間3万人以上が企画が人るオオムラサキセンター(北杜市長坂町)。訪れの仕掛人が、館長の跡部治賢さんです。そアイデアと行動力の源だという、里山での子ども時代についてお話いただきました。Monthly Interviewう。行政に協力し、1995年に同センターを立ち上げる。里山の環境を残した広い敷地を生かし、蝶というテーマを超えて自然を楽しむイベントを常時開催している。跡部 治賢さんあとべ じけんケンカ売られたり、徒党を組んだり。薪を投げて大ケガさせたことも…。宮沢 それは怒られたでしょう?跡部 それが意外にも担任の先生は怒らなかったんです。「まあ、こういうこともあるわ」という感じで。親同士も謝ったりしないし、おおらかな時代ですよね。子どもだけでヘボ(黒スズメバチ)採りなんて危険なこともしてました。勉強ができなくても、そういうのが上手な先輩は尊敬される世界でね。年齢関係なく、経験豊富で生きる知恵があるやつがえらい。地域の子どもで真っ暗になるまで遊んでいました。宮沢 いい時代ですねえ。じゃあ、青年団も当時の仲間と?跡部 そうです。ゴミ清掃やスキー教室、今でいう婚活イベントなんかをわいわいやっている時に、高橋健さんという絵本作家さんが長坂町にいらして、「ここは全国でも珍しいオオムラサキの生息地だから一緒に保護活動をしま宮沢(本誌発行人) ご出身はどちらなんですか?跡部 ここオオムラサキセンターと同じ長坂町内です。実家は農家で、上に姉が4人いる末っ子長男なんです。宮沢 それは可愛いがられたでしょう。跡部 自分では自覚がなかったんですけど、姉たちからは「お前は親の愛を一身に受けていた」と言われます。そのせいなのか、大学は東京に行ったんだけど、「将来は故郷に帰って、親に恩返ししよう」と自然に思っていましたね。それに、都会でもつい路傍の草に目が行っちゃうような感じでね。で、実家に戻って甲府の企業で働いている時に、「町の青年会を再編してくれないか」って相談を持ちかけられて。宮沢 昔からリーダータイプだったんですか?跡部 どうかなあ。友人は「とんでもねえガキだった」って言いますね(笑)。とにかくいたずらばかりして、せんか?」と。青年団としては地域を盛り上げることがテーマだったから、「よし乗るぞ!」となって、そこからこの活動にのめりこんでいったんです。宮沢 オオムラサキは、地元ではよく知られていたんですか?跡部 一部の人しか知らない状態でした。僕自身は虫採りでよく雑木林に入っていたから、原風景の中にオオムラサキがいたんです。仲間とNPOを立ち上げて、全国の愛好家が長坂町に頻繁に集まったりPR活動をしているうちに認知が高まっていきました。町役場に「蝶が見たい」という問い合せが増えて対応に困るようになって、ついにセンターを作ろうという話が出たんです。僕はそれを機に会社を辞めることにしたんだけど、奥さんは困りますよね。そうしたら当時中学生だった娘が、「お父さんがそんなにやりたいんだったら、やらせてあげれば」と言ってくれて(笑)。