ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2014年5月号 NO.180

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2014年5月号 NO.180

44南アルプス市(旧白根町)生まれ。旧巨摩中学の教師たちが取り組み、全国的に注目された“巨摩中教育”の全盛期に中学時代をすごす。2000年頃から様々な地域貢献活動を障害者と一緒にディズニーランドへ遠足、難病の救うための募金活動、リサイクルショップ子どもを弁当の宅配…。公私で様々な地域貢献活動にお行ってきた五十嵐有子さんへのインタビューをです。そしてそのお話は、昨年オープンしたカフェや、かつて全国的に注目を集めた“巨摩中教育”にまで…Monthly Interview行い、NPO法人「ワーカーズおへそ」代表、「中込空くんを救う会」代表などを務める。2013年におへそ代表を退き、コミュニティカフェ「よつばのクローバーcafe」を開業。五十嵐 有子さんいがらし ゆうこで知られている明星学園や自由の森学園にも影響を与えたと思うし、南アルプス子どもの村小学校の先生たちも巨摩中のことはご存じで、その話をすると「あの時代の巨摩中を出られたんですね?」なんて、ちょっと驚かれます。宮沢 私が理事をしている素和美(すおみ)小学校は、河口湖でフィンランド教育を行っているのですが、そこの校長先生は明星学園でも教師をされていた無着成恭(むちゃくせいきょう)さんと同郷で、彼の話をよくします。五十嵐 無着先生が中学に来られたことも何度かありましたよ。結局、巨摩中教育はあまりにも他と違うからということでつぶされてしまうのですが、そこでまかれた種がどこか南アルプス周辺に根づいているような気がします。宮沢 巨摩中学に南アルプス子どもの村小学校、素和美小学校。根っこのところできっとつながっているんでしょうね。五十嵐 旧白根町の生まれです。今ではあまり知る人もいない“巨摩中教育”全盛の昭和40年代に、巨摩中学校に通っていました。公立中学なのに教科書をあまり使わず、テストもない。例えば社会科だったら槍を作って河原に行って「これで本当に動物が仕留められるか?」ってやりながら、物事を深く考えることや実際に体験することを重視する教育をしていました。合唱や劇にも力を入れていて、先生たちはいつも「本当に子どもたちに合った授業は何か?」を研究していました。宮沢(本誌発行人) そんな中学が山梨にあったんですね! 五十嵐 授業は刺激的で、上級生がとても大人びて見えたのを覚えています。学校全体が自由な発想にあふれていました。その教育の中心的存在だった先生が「ぼくたちの学校革命」という本を書いたりして、巨摩中教育は全国的にも有名でした。今も自由な教育五十嵐 私はとっても幸せでした。でもそんな自由な学校で多感な時期をすごしたので、ちょっと他の人とは違う私が育ってしまったのかも(笑)。土と一緒に生きるのが幸せ宮沢 どんな家庭で育ったんですか?五十嵐 父は「オレは土と一緒に生きるのが幸せだ」という人でしたので、畑の話をよく聞いて育ちました。当時にしては珍しい有機栽培で、消毒も炭から作った木酢液でするような方法です。畑で完熟させて、農協へは出さずに個人契約で販売していました。色んな所に色んな畑があって、ブドウ酒もあちこちの畑で内緒で作っていました。「あの畑で作ったブドウ酒の方がうまいな」なんて言って、楽しそうでしたよ。宮沢 自家製のワインですね!五十嵐 あぁ、農家っていい仕事なんだなって思っていました。母はうどんも味噌も手作りが当たり前。私も料理