ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2014年3月号 NO.178

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2014年3月号 NO.178

5うだ。悪い子か…。彼らは自分のどこが悪い子だと思っているのだろう。全く悪い子ではないのに。むしろ“自分は悪い子”と思う謙虚な子どもたちだと私は思った。そして走り出した彼らの後ろ姿を眺めながら、なぜだか私は幸せな気分になった。俺、悪い子と得意げに走る子どもたち。それを笑って見ているそれ以外の子どもたち。更にその後ろで「えー!」と手を叩きながら爆笑している大人たち。こんな幸せな場があるのだろうか。泣けてきた。この場がいつまでも続きますようにと、心で手を合わせた。 そして悪い子ってどういう子?という議論もある。落ち着きがなかったり?友だちをやたら叩いてしまったり? 確かにそれはあまりいいことではない。しかしイコールそれが悪い子ということではないと思う。ピッコロでは人に石を投げたりすると、死ぬ程私に叱られる。それで失明でもしたら、投げた方も投げられた方も一生不幸になる。だから容赦ない。「○○君は悪くないけれど、石を投げたその手はものすごく悪い! そんな悪い手はいらないので森の神様に返します!」と言って、大きなはさみを持ち出す(やりすぎ)。子どもはボロボロ泣いてかわいそうだが、一生不幸になるよりよっぽどいい。またこの時、心ではかわいいなぁと思いながら、オニババの演技をしているのだ。要は私の怒りの感情があまり入ってないということだ。またこの叱り方は、あくまでもその子を全否定しないというやり方で、それさえなければあなたはいい子よという私の想いも入っている。取り返しのつかないことは二度としてはいけないが、それ以外のことは子どもは何度でもやっていいと思うし、私は何度でも彼らを叱ってあげたいと思う。一回でわかる子もいれば、何度言ってもわからない子もいる。それでいい。最初からのいい子は気持が悪いとさえ思うのだ。私は子どもたちに「小さい時に悪いことをしないと、変な大人になるよ」と言ってある。子どもたちは微 妙な顔をしているが 、わかっていると思う。だから“悪い子”で走れるのかもしれない。クラスにはいい子も悪い子もスローもテキパキも色々いていい。ごちゃ混ぜな集団が好ましく、マイナスを排除しようとする集団にこそ恐ろしさを感じる。それが生きにくい社会を作るのだ。  ただ悪い子でもいいからと言って、大人は放任ではいけないと思う。講演会中騒いでいる子は大人に注意されるべきだし、自分を守る?をついたら徹底的に叱られるべきだ。 ピッコロには、実は怒られたいと言う子がたくさんいる。これはヒステリックに怒ってほしいと言っている訳ではない。自分が人として間違った時には、訂正してほしいということだ。大 人は悪い子に対してもっと寛容に。そして叱る時、心からその子の成長を願って叱っているのか、自分がよくない親だと人に思われたくないから叱っているのか、その時の自分の心をよく見る必要があると思う。そこが子どもにはよく見えていると思うし、それが教育者(親)になるということなのかもしれないから。オオイヌノフグリ早春の足元に咲く、コバルトブルーの可 憐 なお花 。別 名 は「星の瞳」。ヨーロッパ原産のお花で5?6ミリぐらいの小さなお花です。日本 原 産の「イヌノフグリ」よりも少し大きいところからこの名前が付きました。日本 原 産のイヌノフグリは今 、絶 滅 危 惧 種に指 定されています。オオイヌノフグリと同じお花の形をしていますが、少し小さくピンク色をしています。もし見かけたら大切に保護してくださいね。