ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2014年3月号 NO.178

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2014年3月号 NO.178

FM-FUJI 木曜日の「PUMP UP RADIO」担当DJ、ヴァンフォーレ甲府スタジアムDJ、声優、唯一の山梨県在住の落語家(三枝改め六代文枝門下「三枝亭二郎」)。山梨今月登場していただいたのは、DJ JIROさん。やヴァンフォーレ甲府スタジアムDJとラジオDJ多くの山梨県民に愛されています。して高校1年生で人を楽しませる仕事につくことを選び、活躍の場を広げていくJIROさんにその原点をうかがうことができました。Monthly Interviewの豊かな自然に惹かれ、東京から移住し、甲府を中心に幅広く活躍中。多忙な仕事の合間を縫っての「落語千本ノック」では、県内外に笑いを届けている。DJ JIROさんDJ ジロー48ないことだらけですよ。全部自分の才覚でなんとかしなきゃいけないんです。両足がつって倒れても、そこには自分一人しかいない。でも、止まっても休んでもいいんです。前に進みさえすれば、いつかは目的にたどり着く。そんなことの全部が楽しかったです。宮沢 そんな中学時代をすごして、高校はどうしたんですか?JIRO 当然ですけど親は高校進学しろというので、「お前らなんかの世話になるか、ボケェ」と言ってしまったんですね。そしたら「出ていけ」と。それから、家から200mの所にアパートを借りました。宮沢 え?高校生で独立!?JIRO アルバイトをさせてもらっていた小料理屋のご主人に保証人になってもらって、家賃も学費も自分で出すようになりました。宮沢 自分の言葉に責任を持つとはいっても、なかなかできないことです宮沢 大事なことですね。JIRO ただそんな子どもの母親が、不幸にも子どもに求めることの一番目が勉強という人だったんですね。それで、どうしても関係がうまくいかなくなってしまいました。それで家に居づらくなって、たしか中1の頃は、ウチから神戸の須磨という所まで海を見に、片道80kmを毎週自転車で通っていました。その延長線上で、親戚のいる山口から始まって、あちこちに旅に行くようになりました。装備は寝袋と鍋と固形燃料。親に言わせると「家出」らしいですけどね(笑)。いつかはたどり着く宮沢 何が少年を旅へ駆りたてたんでしょうか?JIRO 旅は僕にとってわくわくドキドキする学びの場でした。今と違ってネットもコンビニもないですし、もちろん道中は自分の思い通りにはなら宮沢(本誌発行人) ご出身は大阪でしたよね。JIRO 大阪というと“都会”というイメージがあると思いますけど、育ったのは交野(かたの)というとんでもなくすごい田舎です。子どもの頃はヤンチャでしたねぇ。自然の中で育ったので、田んぼの中を駆けずり回ったり、山の中でキャンプをしたりして遊びました。先生の言うことを聞かない、協調性があまりない、「やっちゃいけない」と言われることをする。そんな子でした。宮沢 それじゃ、ご両親は苦労されましたね。JIRO そうですね。ただありがたかったのは、「お前がやったことはお前がケリをつけてこい」と、僕が人に迷惑をかけた時は自分で謝りに行かせたことですね。それは今でも染みついていて、何か失敗したら素直に謝るようにしています。