ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2014年2月号 NO.177

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2014年2月号 NO.177

5ふきのとう2月に入ると、見かけるようになります 。フキという植物のお花を「ふきのとう」と 呼んでいます 。ふきのとうはおいしい山菜です。ぜひお子さんと一緒に摘んで、天ぷらやふきのとうパスタなど楽しんで。ふきのとうは少し苦味があるのが特徴です。お子さんが苦 味が嫌いな場合は、花の部 分を少し取って調 理 すると 苦 味が少 なくなりますよ。たらお母さんがいない、その心細さに共感していた。がーん。私は全く赤ちゃんの気 持にはなっていなかった。しかもはるひと君 以 外の子は気がきかないと見ていたのだ。子どもたちの心の内を予想しようともしなかった。まして私が赤ちゃんの気持になるなんて微塵も思わない。彼らは母を呼びに走れる訳がない。たたずんでいて正解だったのだ。びっくりしてとても落ち込んだ。 ただ救われるのは、私がその場で何も言わなかったことだ。もし保育するとしたら「はるひと君は呼びに行ってくれたんだ!すごいね!」と褒めたりする。また世の中には「あなたたちはなんで見ているだけなの」とあからさまに言う大人、もしくは怒りだす大 人もいるかもしれない。今となっては呼びに行ってもその場にいてもどちらの子でもいいと思うが、子どもたちの心に気づかない大 人は、呼びに行く子になってほしいと願う。子どもたちは大人の気に入るような子になりたいので、大人がはるひと君を褒めれば次 回はお母さんを呼びに走る子になる。そして赤ちゃんに心を寄せるという行為を忘れていく。もしくはそこで怒られた子は、赤ちゃんの気 持を思いやる行 為はだめなことだと思う。人として大切なことをしているのにだ。そうして子どもたちの心からどんどん思いやりの芽が摘まれていく。大人は誰もがやさしい子に育ってほしいと願うが、それを大人の些細な言動が壊していくような気がしてならない。しかもそれが善意だからたちが悪い。この場合もいい子に育ってほしいという善 意の表れなのだ。 ピッコロの保 育で同 様のことが何 回もあった。大人の想像力は明らかに乏しいのだ。子どもは意外と正しいことをしているものだ。言わなくてよかった!と、何度思ったことか。「 少し待つ」ということが私を救い、大人は本当にイケテナイという事実も教えてくれた。待つということは言わないということだ。それは無行という業に等しいそうだ。大変な訳だ。子どもを信じるということも意外に難しい。それはいつも自分(大人)の考えが間違っているかもしれないと思うことで、今日の場合「ちょっと待てよ。ただ立っているには何か訳があるに違いない」とイチイチ推測するということだ。ちょっと疲れることでもある。大 人は子どもを未 熟だと思っているので、断定しがちなのだ。 私はあの時、どうして何か訳があるはずと思ってあげられなかったのか。家で思い出して何度も泣いた。そして大人の誤った見 方で、人として正しい子どもがねじ曲げられていくことがいつも切ないのだ。もう一度言う、子どもは意外と正しいことをしているものだ。