ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2014年2月号 NO.177

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2014年2月号 NO.177

千葉県習志野市生まれ。視覚障がい児サポート「らんどまーく」代表。自身の経験から、視覚障害児を育てる親たちが集まり、そこを拠点としてそれぞれの道に歩んでいけるため今月登場していただいたのは、い児サポート「らんどまーく」代表の視覚障がみゆきさんです。野澤全盲の息子さんは、今は高校生。一緒に苦しみながら道を見出してきたママの強さの一端に触れるお話を伺うことができました。Monthly Interviewの場が必要と、2012年に立ち上げる。また、とんぼ玉アーティストとしても活躍中。制作したとんぼ玉は関東甲信越地域のクラフト展に出展している。野澤 みゆきさんのざわ みゆき40宮沢(本誌発行人) 県内のご出身ですか?野澤 千葉県の習志野という所です。上に兄がいる4人きょうだいの長女。その兄の友だちが、兄がいなくても遊びに来るような家で、母親も自分の子どもでもないのにしっかり怒る人でした。私が小学校6年生の時に父親が事故で大怪我をしてしまい、それからは母親が外に働きに出るようになりました。宮沢 それは大変でしたね。子どもの頃、将来の夢はどんなでしたか?野澤 とにかく「働く」という頭しかなかったです。高校は進学校になりましたが、大学に行くつもりはなかったのでアルバイト中心でしたね。手に職をつけたくて、高卒でエステ業界に就職しました。エステに来るのはコンプレックスのある方が多いんですが、お客さんがだんだんと明るくなっていくのが嬉しかったですね。宮沢 山梨へはどういうふうにしていらしゃったんですか?野澤 大学生だった主人と知り合ったのが高校生の時のバイト先。彼が卒業して山梨に帰った1年後、私は20歳の時に山梨に来ました。主人に働き口を見つけてもらって、一人暮らしを始めました。宮沢 山梨に来たのは、彼と結婚をするつもりで、ですよね?野澤 それがそうでもなかったんですよ。お互いに「もしもうまくいかなくても、そういうことだったってことだね」みたいな感じでした。宮沢 え~!? じゃ、結婚までいったのは運命ですね!子どもに視覚障害野澤 でも相性は悪いんですよ。すごく有名な占い師さんに見ていただいたことがあって、どの占いをしてもダメで「この二人が一緒にいるのは考えられない!」って言われたんですよ。でも最後にやった占いで「お互いの自由を尊重しなくなったら終わり」と出たんですね。私たちは縛ることをしなかったので、それにはとても納得がいきました。24歳で結婚して、子どもは次の年にお姉ちゃんが、弟も年子で生まれました。彼に視覚障害があることがわかったのは3ヵ月の時。風邪をひいてかかったお医者さんで「先生、目がね、時計の振り子みたいに動いているんですよ」って言ったら、息子の目をじっと見て、これはおかしいと。珍しい症例らしくて、紹介されて行った市立病院では大騒ぎになりました。今度は東京の病院で検査をしたら、右目は生まれつき見えていなくて、左目は未発達の状態だったんです。手術をすれば見えるようになる可能性もあるけど失敗したら失明するので、しばらく様子を見ることにしました。8ヵ月を超えた頃に、大きなぬいぐるみを