ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2014年1月号 NO.176
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ちびっこぷれす Chibikko press 2014年1月号 NO.176
東京都文京区生まれ。石ころ彫刻家・画家。特定非営利活動法人障碍アーティスト育成会ふくろうの杜代表理事。北条ユネスコ「世界小石の芸術展」優秀賞(1999)今月登場していただいたのは、麓でギャラリー兼コーヒーショップを八ヶ岳南る、彫刻家・画家の蒲澤ごろすけさんです。構えふとした思いつきから始めた「石ころ彫刻」の第一人者は、「好きなこと」を貫き通してきた信念の人でした。Monthly Interview他。平成12年、北杜市大泉に「ふくろうギャラリー&Coffee 昼のふくろう」をオープン。長くボランティアで知的障害者の芸術支援活動にも関わっている。蒲澤 ごろすけさんかまさわ ごろすけ38宮沢(本誌発行人) ご出身はどちらですか?蒲澤 ボクはね、生まれは東京の本郷なんですよ。東大のある所。本郷は山の手の中の下町なんです。ただ父親の仕事の都合で小学校は何回も転校しました。小学校時代は、ボクが周りでは一番絵が上手でね。「自分が描いた絵は貼り出されて当たり前」という感じに、天狗になっていた時代もありましたけど、それ以外がダメでした(笑)。宮沢 いやいや、秀でたものがあるんですからいいじゃないですか。その頃から絵の道を目指そうと。蒲澤 なんとなくですけどね。高校の時に本格的に絵に目覚めたんだけど、家族親戚からはあまり自由にさせてもらえなかった。「河原乞食みたいなマネをするんじゃない」って反対されましてね。河原乞食っていうのは少し古い言葉で、歌舞伎とかの芸で生活をする人たちを蔑む呼び方なんです。それで、絵は断念して大学に行きました。宮沢 何学部に進んだんですか?蒲澤 工業化学です。でもやっぱり絵をやりたかったので、卒業してすぐに美術学校に入りました。宮沢 じゃ、ご家族も許してくださったんですね?蒲澤 許すも許さないも、家を出ちゃいましたからね。学費、生活費もバイトで稼いで。卒業してからは絵を描いていたけど売れなかったんで、それこそありとあらゆることをして食べるお金を作りましたね。23で結婚して、子どももいましたから。石ころを彫ってみたら宮沢 ふくろうの絵はその頃からですか?蒲澤 ペット屋さんでふくろうを見かけたんですね。いいなぁと思って何回か通っていると、そこの店主から「飼わないかい?」って声をかけられて、ほぼタダでいただいたんですよ。とっても運がよかったことに、それはコキンメだったんです。ふくろうはローマ神話の知恵を司る女神ミネルバの使いとして知られていますけど、実はそれはコキンメフクロウという種類なんですよ。それのデッサンをたくさんしましたけど、作品としては描かなかったですね。相変わらず絵は売れていなかった頃に、ふっと「石ころを彫る人っていないな、やってみたら面白いんじゃないか」って思ったんですよね。ただ先達がいなかったから専用の道具もなくて、最初は大変でした。宮沢 なるほど。それで、ふくろうの石ころ彫刻になったんですね。蒲澤 でもね、あれはふくろうを作っているんじゃないんですよ。作品にはそれぞれテーマがあって、それを表現するためにふくろうの姿を借りているんです。そんな作品がたまっていって知人のギャラリーで個展をやったら、