ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2013年12月号 NO.175

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ちびっこぷれす Chibikko press 2013年12月号 NO.175

43周りに目を向けるより、自分の中の好きなものを大事にしていただきたいです。私はそれで心のバランスを保ってきました。子は最近、初めて好きなことを見つけたんですよ。「サッカーやらしてください」ってお願いされたんです。主人と大喜びしました。ダンスもやらせたんですけど、ダメでしたね(笑)。※電子書籍版のメイン写真をタップすると、インタビュー時の動画を見ることができます。求める世代なので、反対され続けていましたけど。やっぱりダンスではお金が稼げなかったので、何回もダンスをやめようかなって迷っていました。そんな時、お芝居をやってみようかと思ったんです。劇団「麦」に入って2、3年間、俳優さんの付き人をしながら演劇をして、主役もさせていただきました。でも役に入り込みすぎて、ノイローゼになっちゃったんですね。踊りに対する未練もあったので劇団を辞めました。テレビの再現VTRの仕事をいただいたりもしたんですけど、それより上にはいけなかったですね。どうしよっかな、というのが29歳。宮沢 ご両親はやさしいですね。ずっと家においておいてくれたんですね。清水 本当に、ありがたいですね。そんな時に父が「清水国明『と劇団』」が団員を募集しているのを教えてくれたんです。「オーディションに行ってきなさい」。「これでダメだったら就職しなさい」って。宮沢 ずっと反対されていたお父さんが!? それが永久就職につながったんだ(笑)!清水 第一印象は「はぁ~、暗い人だなぁ」でした(笑)。合格した次の日から忙しくて鼻血が出るような生活が始まりました。主人と前の奥さんと3人の娘と私より少し若い男の子と私、あと音楽バンドという小さな劇団だったので、何でもしました。でも、好きなことをやってお金がしっかりもらえるというのは初めてで、とても幸せでした。それが4月。ところがその秋には、劇団は解散なんですよね。宮沢 え、なんで!?自分の人生を注いでみよう清水 彼の家族が崩壊してしまったんです。そのタイミングで、彼が河口湖に自然楽校を開くことにしました。それまでも全国でイベントとして自然楽校を10年やってきたんですけど、そろそろ常設でやりたいと。でも彼の家族は誰も河口湖に移りたがっていなかったので、私は単に「かわいそう」とだけ思っていました。他の劇団員もさっさと辞めてしまったので、彼と私と事務仕事が残ったんですね。ある日、河口湖で彼と生まれて初めて釣りをしました。初めて素手で生きた魚を持ったら、ブルブルっていう魚の動きが全身に響いたんです。その時に、もしかしたらこの土地に素晴らしい経験が待っているのかもしれないって勘が働いたんですね。彼がかわいそうで支えてあげたいという気持ちもあって、私はダンスやお芝居という自分の夢を捨ててみようかなって思ったんです。彼の自然楽校を作るという夢を叶えるために私の人生を注いでみようかなって。人生激変の29歳の半年でした。宮沢 ご主人からのモーションは?清水 ずっとありました(笑)。そういうクセが悪いんですよ。それが2003年。数年後に彼と結婚して、息子が生まれました。息子が生まれて、私はヒップホップダンスを再開しました。精神的に大変でもダンスで体を動かすと、自分を客観的に見られる。リセットできるんです。宮沢 最後に、子育て世代にエールをいただきたいです。清水 周りに目を向けるより、自分の中の好きなものを大事にしていただきたいです。私はそれで心のバランスを保ってきました。宮沢 日本のママは、意識の中で「母親」の割合が欧米に比べてとても大きくて、「自分」が小さいという調査結果があるようです。清水さんは欧米型ですね。ずっと我慢してくれたご両親に感謝ですね。清水 そうですね。私はずっと守られてきたんですね。両親は仕出し屋さんをたたんで、すぐ近くに住んでいます。昔は愛情表現をしない二人でしたが、英語教育をする幼稚園に通う息子の影響もあって、今では夫婦でハグするようにもなったんですよ(笑)。息