ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2013年12月号 NO.175

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2013年12月号 NO.175

神奈川県相模原市生まれ。富士河口湖町在住。ダンスプロデューサー・振付師・ダンサー。ソトイク株式会社代表取締役社長。近年は自然の中で親子が一緒に体を動か今月登場していただいたのは、ロデューサーの清水敬子さんです。ダンスプ界での成功を夢見た20代。夫となる芸能清水国明さんとの出会いと夢を捨てた激動の29歳。そして「自分にとってのダンス」を見出し、ますます輝きを放つママにお話をうかがいました。Monthly Interviewす「ハハトコ」で、健康な心と体づくりに取り組む他、ロサンゼルスでの活動展開を目指して準備している。1児の母。大切にしている言葉は「ありがとう」。清水 敬子さん清水敬子42宮沢(本誌発行人)  ご出身は?清水 神奈川県の相模原です。両親は仕出し屋さんをしていました。宮沢 素敵! じゃあ毎日おいしいものばっかり食べて育ったんですね!清水 そうですね。でも高校生まで外食をしたことがなかったので、ずっとマクドナルドに憧れていました(笑)。宮沢 どんなお子さんでしたか?清水 親が仕事で忙しくてなかなか構ってもらえなかったので、一人で遊ぶ子でした。今思えばそんなことはないんですけど、親から関心を持たれていないんじゃないかって考えていたこともありました。ほめてほしくて、何か目立つことをよくしました。一番大きな鉄棒をやるとか。「すご~い!」って言われると、生きている実感みたいなものがありましたね。でもその噂が近所でまわって両親のところに来ても、「鉄棒やったんだって?」くらいで、あんまりほめてもらえなかったという印象がすごく強かったですね。愛情はあるんですけど、それを表現して伝え合うということをしなかった家族でした。宮沢 他にはどんなことをがんばったんですか? 勉強とかスポーツとか。清水 勉強はダメだったので、スポーツ。中学ではハンドボールをやりました。でも元々はとても細くて体力もなかったんです。私は負けず嫌いで「根性で勝つ!」みたいなところがあって、部室にあったウェイトを手首につけていたこともありました。修行好きなのかな(笑)。宮沢 細身の女子中学生が重りをつけている姿を想像すると、執念みたいなものを感じますね(笑)。これだ!清水 関東大会で準優勝して高校からスカウトも来たんですけど、好きなことをしたかったのでお断りしました。宮沢 それは何ですか?清水 ヒップホップダンスです。中3の時に深夜番組で踊っている人たちを見たんです。とってもかっこよくて楽しそうで、「これだ!」って思いました。ヒップホップは神奈川にはなかったので、とにかく東京に行こうって思ったんです。下北沢でバイトを始めて、テレビの収録の観覧に行ったりしました。宮沢 そんな高校生は、相模原には他にいたんですか?清水 私だけでした。でも「東京に行きたい」「ヒップホップをしたい」という気持ちは絶対だったので、親に反対されても無視して通いました。収録で顔を覚えていただいたZOOのBOBBYさんからスクールに誘っていただいて、六本木にも行くようになりました。そんな高校生活だったので進学はせずに、事務職やアルバイトをしながら26歳くらいまでダンスを続けていました。親は安心・安全・安定を