ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2013年11月号 NO.174

ページ
5/48

このページは ちびっこぷれす Chibikko press 2013年11月号 NO.174 の電子ブックに掲載されている5ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2013年11月号 NO.174

5根元を踏みながら歩いたのだ。それを見た時 、小さい長 靴で必 死に踏んでいる年少組の姿が思い浮かんだ。うまく踏めない時や、かえって自分に付いてしまったこともあっただろう。懸 命に克 服し前に歩くことが、生きることそのもののような気がして私は少し泣けてきた。自然の隣で生きるということはこういうことだ。 しかしその年少組のお陰で、後から来た年長組は歩き易くなっている。私は年少組のがんばりに心を寄せていたので、それを年長組に伝えありがたいと思ってほしかった。「 年 少 組が先に踏んでくれたから今日は歩き易いね! 年少組ありがとう~!」と、わざと遠くの年少組に話しかけるように大 声で言ってみた。すると横にいたはなちゃん(6歳 )が普 通に言った。「ありがとうじゃなくてごめんねでしょ」。えっ…。一瞬思考が止まった。次の瞬間心臓に風が通ったようだった。がーーーん。泣きそうだった。 ピッコロを始めたきっかけは、多摩市の幼稚園に勤務時代の一人の男の子の発 言にある。帰りの会で食物連鎖の話になり、「みんなもお魚を殺して食べているでしょ」と私が 言った時 、彼がこう言ったのだ。「スーパーでお母さんが白いお皿に乗ったお魚を買ってくるので、僕は殺してない!」と。この発言を聞いた時、まずいと思った。命と人 間が離れすぎている。人は何かを犠牲にしなければ生きられず、だからこそ謙 虚が 生まれるのだ。私はなぜか幼児教育でそこをやらねばと思った。それは虫やひっつき虫が生きているから自分も生きているということで、これが少し大げさだとしても、少なくともひっつき虫と私の命は無関係ではないということだ。これをはなちゃんはわかっていた。 私はピッコロの原点でもあるのに、とんでもない間違いをしてしまった。確かに年 少 組が 踏んで歩いたことはありがたい。しかしそれより先に、ひっつき虫の命に対する慈しみはどこへ行ったのか。年少 組へ言ったお礼は「 私のために殺してくれてありがとう」という、いかにもエゴな言葉だった。その前にひっつき虫にごめんねでしょ。消えてしまいたかった。どうしてピッコロを運営しているのかわからなくなった。そしてこうやって大人の変な指導によって、清い子どもたちは少しずつ歪んで育ってしまう。倒れたひっつき虫の命にかわいそうと心を寄せている子に「ありがとう」を言わせてしまう。これが教育の恐ろしさだと思う。起因が教育者の善意なので、余計にたちが悪いとも思う。 私は以前3年間だけ畑を借りていた。草 刈り機で一 斉に雑 草を刈った時 、これはいいことなのだろうかと手が止まったことがある。現 実には無 理だけれど、本 来は自分の力で根っこの力強さを感じながら殺すべきなのではないかと。ジャガイモに付くテントウムシを葉っぱでプチプチ殺しもした。あの頃だったら先にごめんねを言えたのだろうか。 私と命も離れすぎている。「保育は人間 性である」。大 学で習ったこの言 葉 、いつも心に置いているつもりだが、今日ばかりはとても痛かった。ニホンリスリスにとって秋は大 忙し。冬支度のシーズンです。リスは冬 眠をしません。一年中 元 気に動き回っています。ですから、冬の間の食事を用意しておくのです。秋にたくさん落ちたドングリを何カ所かに分けて、木の 根 元 な どの 秘 密の場所に隠しておくのです。でもおっちょこちょいなので、どこに隠 したか忘れちゃうこともあるんですよー。かわいいですね。