ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2013年11月号 NO.174

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2013年11月号 NO.174

本名・佐野建太。甲府市出身。中学3年生でギターを手に取り、高校2年生の時に路上ライヴで音楽活動を始める。現在は山梨の音楽を盛り上げようと、主に県内で音楽今月登場していただいたのは、ソングライターのサノケンさん。シンガー・作るきっかけの“事件”や人生観歌をして山梨の音楽文化の未来について、そ“山梨を輝らす男”にお話しいただきました。Monthly Interview活動を展開。今年10月からパーソナリティーを担当するラジオ番組「Kitaguchi Music Park」(YBSラジオ)で、県内27市町村を巡って歌を作る企画が進行中。サノケンさんサノケン40サノケン でも、3ヵ月でフラれました。僕がテスト期間に一方的にメールをしたのが面倒くさい感じだったんでしょうね。人生の終わりなんじゃないかってくらい落ち込みました。僕、中3の頃からギターを始めていたんですけど、失恋してどん底にいた時にチャラ~って弾いたら、曲ができたんです。曲を作ろうと思っていなかったけど、無意識に歌ができた。それが「君とずっと」という歌です。宮沢 内なる声が出てきてしまって歌になったんですね。サノケン それが一番キレイな、純粋な歌の生まれ方なのかなぁと今は思います。そうやっていくつか曲ができていくと聴いてほしくなって、学園祭とか甲府駅南口の路上で歌いました。始めての路上は緊張しました。2曲だけ歌ってそそくさと帰ってきました。でもそれから南口でほぼ毎週土曜日に歌いました。あと、「NHKのど自慢」に宮沢(本誌発行人) ご出身は山梨ですか?サノケン はい。甲府の徳行です。アルプス通りと20号が交差するあたりなんですけど、昔は田んぼばかりでした。祖父が持っていた土地があって、大工の父はそこに自分で家を建てました。僕が小学校に入る前でしたね。宮沢 お父さんが建てた家に住めるなんてすてき! そういうお父さんが働く姿は、子ども心に焼きつきますよね。サノケン 昔はそれが普通だと思っていましたけど、大人になって考えると、好きなことを貫いて何10年も仕事としてやっているのはすごいな、と思います。子どもの頃は、旅行に連れて行ってもらったことは一度もないくらい、父は仕事一筋でした。宮沢 サノケンさんはどんな子どもだったんですか?サノケン 一言でいうと「元気な子」でしたね。小学校から高校までサッカーをやっていたんですよ。小学校の時は県代表にもなりました。だから夢は、ヴァンフォーレに入って日本代表になることでした(笑)。宮沢 大工さんじゃなかったんだ?サノケン 中学の頃はそう考えていました。甲府工業高校に入って工学部に進んで建築士になる、と。でも可能性を狭めたくないと思ったので、普通科のある甲府昭和高校を選びました。そこで今につながる重大な事件が起こったんです。入学式の前にクラス分けテストがあるんですけど、その日に一目惚れをしちゃったんですね。もう、いてもたってもいられない。勉強も手につかない。猛アタックして、お付き合いすることができました。曲ができた宮沢 それって何月のこと?サノケン 4月中でしたね。宮沢 早い~(笑)!