ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2013年10月号 NO.173

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2013年10月号 NO.173

愛知県生まれ。京都での在学中に司法試験に合格。結婚して山梨へ。山梨県弁護士会子どもの権利委員会委員長。12月には臨床心理士と合同で子ども・夫婦なんでも今月登場していただいたのは、弁護士の八巻佐知子さん。生き急いでいる」と評されるほど友人に「フルで前向きな3児の母です。パワ女性にとっての仕事、そして家庭と仕事の両立をするための心の持ち方についてお話しいただきました。Monthly Interview相談会を企画するなど、子どもが関わる問題に取り組んでいる。子育てと家事、仕事をまわしていくために心がけているのは、しっかり遊ぶこと。八巻 佐知子さんやまき さちこ50宮沢 イメージしていた華やかなキャンパス生活とは全然違って、しっかり勉強していたんですね。八巻 親は、卒業して2年以内に司法試験に受からなかったら働きなさいと。ウチは裕福ではなかったので。宮沢 2年! 合格者の平均年齢ってかなり高いんですよね?八巻 当時は平均で27、28歳くらいだったと思います。そのプレッシャーもあって本気で勉強して、4年生の時に受かりました。合格すると司法修習という研修があるんですけど、そこで夫と出会って結婚しました。宮沢 あれ?早いですね!?八巻 24歳の時でした。私の夢は最後の子が22歳の時に50歳で子育て引退です。だから25歳から30歳までに産まなきゃいけない。宮沢 それはどういう理由で?八巻 両親も祖父母も若いうちに子育てをしたので、そのよさを感じていた宮沢(本誌発行人) ご出身は?八巻 愛知県の渥美半島です。祖父母はメロンと電照菊を作っていて、父親はサラリーマンで母親も働いてました。姉が一人います。電車もない田舎で高校も近くにはなかったので、バスで通いました。宮沢 弁護士になりたいというのは、その頃からあったんですか?八巻 まだ全然。ただ大学生にはなりたかったです。小学生の頃がバブル期で、「大学生ってかっこいい!」ってイメージがあったので。高校1年生の時にオウムの事件と阪神大震災があって、社会を考えるようになりました。ちょうど2つ上の姉の受験の年で、志望が神戸の大学だったんです。合格したんですが神戸に下宿はできなくて、大阪から通う姉の大学生活を見ていました。その頃から、人生いつどうなるかわからないから、どこでも働けるように資格をとろうと考えるようになりました。これは母の影響もあったと思います。母は鹿児島からお嫁に来たんですが、祖父母との仲がよくなくて、私が小さい頃は、いつお母さんが自殺するのか出て行くのかって思っていました。それでも母が家にいたのは、生きていける力がないからだと、子どもながらに感じていたんだと思います。公務員になりたかったのと、就職に有利ということで、法学部に進みました。前後して、オウム関連で弁護士がメディアに出るようなりましたね。仕事ができる資格を取りたい宮沢 そういえば、あの頃からですよね。今はもう普通になりましたけど。八巻 弁護士というのはこういうことをするのか、と知るようになりました。資格をとって自立できるようになりたい。目指すなら一番のところを、ということで、大学2年生から司法試験のための塾にも通いました。