ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2013年10月号 NO.173

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ちびっこぷれす Chibikko press 2013年10月号 NO.173

5「 本 当は嫌だったでしょ」と聞くと、「 痛かったけれど、嬉しかった」と言う。本気の戦いごっこに満足しているという答えだった。しかもこれはケンカではなく、あくまで「戦いごっこ」なのだそうだ。私にはこの男子の心がさっぱりわからないが、さて大人はこんな時どうしてますか。 私は昔 、弟と取っ組み合いのケンカをしたことがある。彼の平手が私の頬に入った瞬間、本当に痛かった。そして弟が強くなったという敗北感、これは今でも覚えている。友を殴った手の痛さ、叩かれた時の悔しさと淋しさ、危なっかしい思春期を迎える前の特に男子には、ぜひとも感じてほしいと個人的には思っているが 、いかがなものか。(男子は大人が言わなくてもケンカはするらしいが…) 以前研修会で「子どもはAKU(アク)だ」という話を聞いた。A(危ない)K(汚い)U(うるさい)。時と場合によるとは思うが、この3つを止める時、子ども稼業をやめなさいと言っているのと同じという話だった。子どもは危ないものなのだ。もっと言うと、危ないことをしないと育たないのかもしれない。これはカッターは危ないから持たせないのか、小さいケガをしながら大事故にならないように使用できる子に育てるのか、その選 択 肢と似ているような気がする。それはいつも大人の覚悟を伴うのだ。ギリギリのところで子どもは育つといつも思うのだが、ケンカも同様に思える。ケンカを止める、保身で止める、子どものためと思い込んで止める、自分が見ていられないから自分のために止める、真に子どものために止める。私はどこなのだろう。止めた方が何倍も楽なことは確かだ。 大人はその子にどんな人になってほしいのかという想いに基づいて、プロとして親としてどんな関わり方が一番いいのかをそれぞれが自分で決めればいいと思う。マニュアルはないはずだ。  私たちは優 等 生を育てたいですか?A K Uが揃った子どもらしい幼児期を送らせてあげたいですか? そこにエゴや世 間 体がなければ、どれも正 解だと私は思う。繰り返すがどこにもマニュアルはない。そのマニュアルを自分で作っていくことが親になることであり、プロの教育 者になることだと思う。とても困 難なことだけれど。月なぜ秋のお月様はキレイなんでしょう? それには気持ち的な理由ばかりでなく、科学的な理由もあります。まず秋の空は水蒸気が少なく空気が乾燥しているので、お月様の輪郭がハッキリ見えるのです。それから高さ。夏は低い位置なのでチリなどの大気の影響を受けやすく、冬は高い位置のため観測しにくいという理由があります。秋はお月様を見上げるのに最適な季節なんですよ。