ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2013年8月号 NO.171

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ちびっこぷれす  Chibikko press 2013年8月号 NO.171

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ちびっこぷれす Chibikko press 2013年8月号 NO.171

甲府市出身。(有)ミュージック・ハウス石川代表取締役。甲府の他、東京や軽井沢方面でも各種イベントや結婚式の企画から演出、タレントのブッキングなど幅広い業務を今月登場していただいたのは、(有)ミュージック・ハウス石川代表取締役のさんです。ひとりのエレクトーン奏者石川美穂始まって、タレントやアーティストのからブッキングなどを手がけるまでのサクセスストーリーと、成功の秘訣を伺いました。Monthly Interview手がける。「会場のみんなが元気になって次の日を迎えられる」ことを励みに激務をこなす。息抜きは、全力で仕事をした後のビールやワインと熱帯魚飼育。石川 美穂さんいしかわ みほ52宮沢(本誌発行人) 生まれも育ちも山梨でしたよね?石川 はい。小さい頃に甲府の貢川に引っ越して来て、大学で東京に出るまではずっと。当時は本当に田舎で、田んぼばっかりでした。5歳ぐらいから、エレクトーンを習わされました。私は一人っ子で、何かに没頭させておくと母は仕事ができるので都合がよかったんですね。宮沢 練習するのがお好きだったんですね?石川 そうでもないですよ(笑)。「また練習してないの!?」って言われながら。でも、エレクトーン奏者を職業にしたということは、やっぱり好きだったんですね。宮沢 進学は音楽系だったんですか?石川 英文科でした。中高が英和で英語も好きになって、大学に入る前に1年間オーストラリアに交換留学で行ったんです。帰ってきたら、大学で英語を勉強しても「これって勉強にならないわ」って思ってしまいました。英文科に在籍はしていても、将来は音楽の仕事をしようと思っていたのか、東京の音楽事務所のオーディションをいくつか受けたりしていました。当時はエレクトーンが全盛期で、今と違って結婚式で使う音楽は全部エレクトーンの生演奏だったりしたんですよ。就職を考える時期にタイミングよく日本ビクターの事務所から、西武球場でエレクトーンを弾く仕事をやらないか、という話があったんですよ。宮沢 え~、すご~い!面白そう!石川 「やるやる!」って受けたんだけど、野球のことは何も知らないし、練習する曲数は多いし、初めは結構大変でした(笑)。宮沢 毎日の仕事ではないですよね?石川 ええ、それだけじゃ食べていけないので、結婚式でエレクトーンを弾くバイトも始めました。それに加えて昼間は専門学校や音楽教室でエレクトーンを教えて、夜はどこかのラウンジで演奏をして。全部掛け持ちでとっても忙しい20代を過ごしました。就職はしていなかったんですが、こまめに稼げていましたね。宮沢 すばらしい!ということは、営業力もあったということですよね?仕事は「やりきった」石川 仕事は向こうからどんどん来たんですよ。若かったから(笑)。宮沢 そうは言っても「石川さんに弾いてほしい」と話が来るんですよね?石川 私、仕事を断ったことがないんですよ。期待して仕事をくださるんだから、それを裏切っちゃいけないと思うんですね。そうしたら忙しくなりすぎて、仕事に疲れちゃったんですね。そんな時たまたま山梨に帰ってきたら、会った人と結婚しちゃったんですよ(笑)。それを機に山梨に帰ってき