ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2013年7月号 NO.170

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ちびっこぷれす  Chibikko press 2013年7月号 NO.170

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2013年7月号 NO.170

5人に聞くようになる。条件的に否と言われたこととは違うのだ。 再び会議。しばらくかかった。すると一斉に子どもたちが、静かにバラバラと謝り始めたのだ。梅の木、梅の葉、まだついている梅の実、落とした梅、その全部に真剣な顔でぺこぺこしている。中には土下座している子もいた。えっ、梅に土下座! ちょっとびっくりした。私には彼らの謝罪の気持が痛いほど伝わってきた(泣)。それで私は一人ずつに聞いた。「 結 局 ○ ○ちゃんはどうしたの?」。子「 梅に謝った」。私「で?」。子「 全 部に謝った」。私「 何て言ってた?」。子「いいって言ってた」。私「 誰が?」。子「 梅が」。私「で、どうしたいの?」。子「もういいと思う」。私「じゃそうする?」。子「うん」。こんな具 合だ。最 後の許しも自分が決める。これは子どもにとってはキツイことだ。しかし自分がやったことに責任を取るということはそういうことだ。大人に謝り許される方がどれだけ楽だろう。 すると「梅の実を園庭に埋めて帰る」という子が出てきた。次世代を育てて償うということだ。その子が梅を埋め始めた。すると全員がサッと走った。スコップで穴を掘る。何ヵ所も掘る。バケツで水を汲む。子どもたちはひたすら梅の実を埋め続けた。謝っただけでは不十分だと全員が感じていたかのようだった。そしてその間、遠くで見ていた私の顔を見る子が一人もいなかった。私に怒られたから、私が気になるから、そんな子は必ずここで私の顔を見る。彼らは自分と梅との関 係で行 動していた。他 人に依らない子どもたち、再び嬉しかった。しかしここまで2時間だ。結末はどうなるのだろうと思っていたが、これは最 高 級の解 決方法だと思った。心からの謝罪、そして償い。私は事実を伝えるだけで怒ってはいなかった(だから余 計 怖いのか)。完璧すぎて身震いした。卒園しても自分で生きている彼らを見て感慨深かった。  子どもは未 熟ではない。大 人が考える以上の解決方法を考えられる。だから子どもはすごいのだ。大人が導かなくても真っすぐ伸びていく。教えないと横にそれるのではないかと心配するが、彼らはそんなに柔じゃない。それが生というものなのかもしれない。子どもを信じるということは、大 人自身が 強くないとできないことだ。強くなくては優しくなれない。私の仕事は、やはり私の修業の場だと思った。がんばれ私。雨上がり、空を見上げると虹がかかっていることがあります。虹がかかるのは必ず太陽の反対側。水分に太 陽の光が反 射して虹ができます。面白いのが二重の虹(ダブルレインボー)。二重の虹を見たら願いが叶うというジンクスがあります。そして、よーく観察してみてください。色が真ん中から対 称に逆になっているんですよ。