ちびっこぷれす  Chibikko press 2013年5月号 NO.168

ちびっこぷれす Chibikko press 2013年5月号 NO.168 page 45/52

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概要:
45子どもの心に希望の種をまいてほしい。冒険に行きたいと思う子が一人でも多く育つと嬉しいです。きいですから、言うならプラスのことを言い続けてほしいです。日本という国に生まれてきただけでも運がいい。この先....

45子どもの心に希望の種をまいてほしい。冒険に行きたいと思う子が一人でも多く育つと嬉しいです。きいですから、言うならプラスのことを言い続けてほしいです。日本という国に生まれてきただけでも運がいい。この先、いいことや楽しいことはいっぱいある。そうやって心に希望の種をまくことで、未知の世界へ冒険に行きたいと思える天真爛漫な子が一人でも多く育ってくれると嬉しいです。の上げ下ろしからですよ(笑)。イジメかと思うほどでしたが、今ではすごく感謝しています。そしてやっと営業に移してもらいました。研修後すぐに営業に配属された同期もいたんですが、僕には下準備の時間を作ってくれたんですね。ありがたかったですね。宮沢 念願の営業はどうでした?清水 それが、すごいところを任されまして。積もりに積もった未払いを得意先から回収してこいと。しかも商品を買ってもらいながらですよ。宮沢 え~!それってすごい大変な仕事じゃないですか? 新入社員の清水青年はどうしたんですか?清水 まずは人間関係を作らないと無理だと思いました。若造とナメられて、まともに話もしてもらえなかったですから。仕入れ担当の部長の部下と仲よくなって部長の機嫌のいい時を教えてもらったり、休日を使って棚卸しを手伝いに行ったりしましたね。そうしたらその会社とはむちゃくちゃ仲よくなれて、1年半ぐらいで6000万円くらいの売掛けをゼロにしました。そこの社長は、僕が甲府に転勤になる時に、心配だからってわざわざ顔を見に来てくれたんですよ(笑)。宮沢 愛されましたね~。甲府へは、希望を出されたんですか?清水 はい。父はすでに他界していたので、母親の面倒を見たかったんです。甲府でも成績がよくて、ある商品を売って日本一にもなりました。宮沢 甲府で日本一ってすごい! で、そろそろ独立してもいいだろうと。清水 ええ。29歳でした。建材を知っていて営業に自信があったので、工務店さんの営業をお手伝いする会社を作りましたが、開業資金を持ち逃げされたり仕事がとれなかったりで、会社を潰すことも考えました。でもバブルが崩壊して景気が悪くなる中で、営業支援の契約が徐々に増えていきました。これは今のフォネットにもつながっていることですが、僕のマーケティング手法の軸は、商圏を絞って徹底的に深掘りすることです。それがうけて、事業が軌道に乗るようになりました。宮沢 フォネットを始めた経緯は?清水 僕が病気をして会社の仕事が回らなくなったことがあります。これはマズいと思っていた頃、NTTが独占していた固定回線の販売に参入する話があったんです。人材を育てて、僕が動かなくても回る会社にしようと。途中から携帯電話も扱い始めました。最後発でしたが、目の前の敵を倒すつもりで先行大手を抜きまくりました。冒険の海へ宮沢 今では県内最大手ですよね。これからの目標は何ですか?清水 山梨県の学生さんの就職希望ナンバーワン企業になりたいです。フォネットは常に若い企業でいたい。そのためにはいろんな部分で優れていなければいけません。宮沢 不況の中で「人気ナンバーワン企業になる」という目標に向かってチャレンジすることは、まさにスリル満点の冒険ですよね。清水 そうですね。ワンピースじゃないですけど、みんなで冒険の海に出かけよう!という感じですね。それぞれが役割を一生懸命に果たさないと船は進まないし、困難も乗り越えられない。その度に船も大きくなったり漕ぎやすくなったりしていくんですね。宮沢 その時の清水さんの役割は何でしょうか?清水 僕は漕ぎ手のためにイスを拭いているか、片付けをしているんじゃないでしょうか(笑)。でも、進む方向はしっかりと示している。社長は主役じゃない方がいいんですよ。宮沢 子育て中の親にエールを一言。清水 「希望」や「夢」をお子さんに植えつけていただきたいです。確かに今の親御さんが育った時代を考えると、それは言いづらいです。でもよかれ悪かれ子どもの人生は親の影響が大※電子書籍版のメイン写真をタップすると、インタビュー時の動画を見ることができます。