ブックタイトルちびっこぷれす Chibikko press 2017年4月号 NO.215

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概要

ちびっこぷれす Chibikko press 2017年4月号 NO.215

5神奈川県生まれ。幼稚園・保育園での勤務を経た後、2 0 0 7 年に北杜市で「森のようちえんピッコロ」を開始。以来、森のようちえんの活動を実践し続けている幼児教育の専門家。自然の中で〝子どもたちが自分で考え、自分で決める?保育スタイルが注目を集める。現在約30名の子どもたちとともに、驚きと笑いに満ちた日々を送る。 園児募集中!組だけで何でもできるもん!!」。売り言葉に買い言葉、いや幼児にはそんなことはないのかもしれないが、啖呵を切った彼女はポロポロ泣き出して部屋へ戻ってしまった。お互いを想い合い、気持ちを出し合いケンカになる。こうやって相手や自分の気持ちもわかるようになり、コミュニケーション能力もつく。ケンカは大事なことなのだ。 その場はなんとなく収まり、証書入れの続きを作っていると、年長児がまた事務所からいなくなった。ケンカの続きをやりに行ったのかと思ったが、帰って来た顔が違っていた。中島「どうしたの」。子「謝ってきた」。中島「えっ!どうして?」。子「嫌な気持ちにさせたから」。中島「でも年長さんは悪くないでしょ」。子「うん、でも嫌な気持ちにさせたから」。次々と事務所に戻る年長児が同じことを言った。自分たちは助けに行ったのだから悪いことはしていない。けれど相手を不快にさせたそのことだけは悪いので、その部分だけに謝ったということだ。ガーン。大人ここで謝れますか。悪くないのに謝る、しかもここは悪かった、ここは悪くないと自分の心を分けて考えられますか。うちの夫婦ゲンカでは絶対にあり得ないと思った。 その日の帰りの会でまたこの話になった。やはり年長児はどこかで納得してなかったのだ。私はこのように、ピッコロっ子が自分の気持ちをどこにも置き去りにしないところがいいと思っている。腑に落ちないことはとことん話し合う。そして納得して前に進むのだ。自分の気持ちを脇に置き始めると、その方が楽なので心は常に脇に置かれる。するといざというとき自分の気持ちがわからない。だから他人の気持ちなんてわかるはずがない。年長児はまた言った。「せっかく行ってあげたんだよ!」。すると年中児も強くこう言った。「来ないでって言ったのに来たから!!」。そして私はこうつぶやいてみた。「あぁ、年長さんは、相手が来なくてもいいと思っているのに行ってくれたのね…」。何を言っても反論していた年長児がここでシーンとなった。何かを感じている。そしてこれは悲しいかな“余計なお世話”ということを年長児が気づいた瞬間でもあった。だからといって人の世話をしてはいけないということではない。彼らは今、さらに高度な“余計なお世話”という壁にあたり、それをどう自分の中で処理していけばいいのかを考えているのだ。ここに気づく幼児もすごいと思うが、こうやってこれから生きていくのに必要な心のヒダが幾重にも作られる。これは誰が良くて誰が悪いという話ではない。群れの中で心が育つという話であり、大人だけでここは育てられないと思う。だが大人が関わらずただ森の中で遊ばせるだけでは、人を育てる群れができるわけでもない。微妙に難しいのだ。